前よりは
と君はこのままでは嫌だと、恐れから選択する人生から、自分を解放したいと、本気で思えるところまでなんとか進めたんじゃないかと思う。
そして私も、自分がいかに、自由そうで不自由に生きる選択をしてしまうのか?や、自分の弱さ、自分を否定する事、自信を貫けない事、、本当にと君の為に出来ることをしてきただろうか?私の愛はエゴだけだったのか?
など観ています。
私が、それらに自信が持てて安心してる状態にいられたのは、と君が居てくれたから、私を全部愛してくれてると、思い込めたからなのだと、わかるばかりです。
つまりは、外付けの条件で変わってしまう程度の安心でしかなかった。
その馴れ合いで慣れ親しんだ、偽物の安心の世界から旅立つ決心をしました。
私も、と君も、人のせいにしない、自分のつくる宇宙に、全責任をもつ魂に育つしかない。
それは、起きたこと全て、自分に起こる感情全てに、何一つジャッジすることなく、全幅の信頼を(自信)寄せることなのかもしれない。
絶対に、と君ものっとも大丈夫、絶対に、自己信頼と全てへの愛に満ちた自身に戻るために、起きていく事全てを信じて、本当に自分は愛の存在であると腑に落ちた時に、肚で理解した時に
私たちはまた逢える、愛は続いていると、知っているから。
辛い気持ちしかないけど
でも、今日この言葉がでてきたのだから、悪くない気持ちだ。
この事が言動一致で進めるようになるまで、また螺旋階段で、迷うだろう、苦しむだろうけど、それさえも、必要な体験だと知っている。
だから大丈夫。
いま、すぐタイムラインを変えれば、もう逢えるんだ。この事がと君にわかれば、そして、私にわかれば、今この瞬間から逢えるのにね。