整腸剤を摂る事を考えました。
私は便秘、と君は軟便。そして腸の病気をした。
いま、本当にこのままでいいのか?を真剣に一年かけて、考え直した部分をみながらも、やっぱり人間体としての、安全安心幸福は、その人の価値観があるのだから、彼が選んだ道には意味があると感じてしまい
やり直す方では無い道を提案した私です。
じゃあ、心寄せずにいられるかと言うと、それは全く別物なので、好きとか愛してるとかを超えて、心配なんですよね、いつでも。
心配は信頼が足りないと言ってきましたが、理屈じゃないなと、思うこの頃です。
それで、一番心配なのは、身体なのです。
YouTubeで、ビオフェルミンとビオスリーの話しを見て、と君に良いと思いました。
私が実験して、どんな感じか調べてみよう。
そう思いビオスリーを買ってきました。
会えない間も、そんなふうに、できる事を探していたし、いつか会えたら渡そうと買ったものとか、思い出すと悲しいですが
そういう時間やエネルギーは彼には理解されるものではなかったのだし
それを知っていたら事情さんを好きにならない、なら、それはどちらにも愛などないわけで、おかしい話し。
自分が大切にされて必要とされないと感じたらのっとのことを愛することはできないです。
て?
それはもともとが、愛じゃない。
好きは、相手から返ってこなくても、好きなんだよ。怒ってる事と、好きじゃない事はイコールじゃない。
私は怒っていた、彼の態度に彼の意識の使い方に。だけど、怒っているのは好きだからだよ。
そんな事をヒシヒシと、この一年、見てきました。どこか食い違うとしたら、この点が彼からしたら、私のことが不思議なんでしょうかね。
私のことを好きじゃなくなってしまったから、と何回か言われました(言わせました)が、なんか違う言い方はないんか?
なんというか、くだらないと思えます。今は。
そんな答えしかでてこないのかと。そんな考えの中に私たちの関係性を置いて、ジャッジしていたのかと。
さようならだよね、それなら無理に決まってる。
そう、わたしが、怒らなくなったら、そこで、終わりを迎えるのがわかってた。
だからイチャモンつけて、引き伸ばした一年。
もう、終わりにしよう。
ビオスリーで整腸できたら、と君に薦めておきます。元気になれ。
君が、元気だったら、もはやそれだけで、私は幸せかもしれない。